小原良公「兄を追う泣き虫少年が叶えた夢」
小さいころからやんちゃでお兄ちゃん子。兄を追いかけながらバスケットをしてきた小原良公選手。加えて泣き虫で、試合に負けては泣いていた少年が夢を叶え、東京Zで新しいスキルを身に着けて開花を目指す。
兄の背中を追い、バスケットボールと出会う
二人兄弟の弟として高知県で育った小原。小さい頃は「先生によく怒られているような子でした。めちゃめちゃ悪ではないし、喧嘩もしないけれど、やんちゃ。先生の言うこと聞かなかったですね。
でも泣き虫でした(笑)。すぐ泣いてました。先生に怒られて泣くこともありましたし、自分が気に入らなかったらわざと泣いて、先生が『じゃあその通りにしてあげよう』、って。泣いたらどうにでもなるんだってなって思ってました(笑)。あざとい泣き虫ですね」。
そんな時、三つ上の兄が「バスケットボールクラブに行ってくる」と言い出したのをきっかけに、小原もその後をついていくようになった。
「当時小学校1年生だったんですけど、ずっとお兄ちゃんと一緒にいて仲が良かったんです。お兄ちゃんについて行って、一緒に遊びたいじゃないですか。その流れで自分もミニバスのクラブに入りました」。兄のことが大好きだった小原は、流されるようにバスケを始めた。
「楽しいとか、好きとか嫌いとかもなく、ただお兄ちゃんについていくだけでしたね」。
1年生のころは練習にも合流せず、隣のコートで遊んでいた小原が初めて公式戦に出たのは、小学校3年生の頃だった。転機はその頃。高知県の選抜に選ばれ、練習会に参加した時だ。何となく連れていかれて、初めて参加した県の練習会。周りのメンバーのプレーや身体能力の高さに圧倒された。「みんなめちゃめちゃ上手で。俺なんか足も速くないしジャンプ力もない。他の選手は運動神経いい子がいっぱい集まっていて衝撃を受けましたね。ショックでした。みんな足が早くて、俺が前を走っているのに追いつかれて追い抜かれて。思い返すとその時は結構キツかったですね」。
周りのレベルの高さに鼓舞された小原は、その後の練習に今まで以上に真面目に取り組んだ。「高学年になるに連れて、差がなくなってきたように感じていました。それは真面目に練習をした結果がついてきたんだと思います」。それからは高知県選抜の常連になっていた。
悔し泣き
中学校は隣の市へ、自転車で通った。「ジュニアオールスター選抜の先生がいて、新しいことをいろいろ教えてくれました。その先生も現役だったので一緒にプレーしてくれていました」。バスケットをきっかけにやんちゃ坊主から卒業したようだったが、泣き虫は変わらなかった。
「中学校でも泣いていましたね。悔しかったときや、恥ずかしくても泣いていました。1年生のときに3年生に試合でボコボコに負けたんですけど、相手が細身のすごく大きい選手で、自分も割と大きかったからマッチアップしたんです。でもセンターだからやたら面を張ってきて、相手の細身の体の肘が当たって痛いし、やられたい放題やられて、最後の方は泣きながら試合してましたね(笑)。本当に悔しくて。でも絶対上手くなってやるって思いました」。
悔しさから、めきめきバスケットの腕を上げていった小原は、ジュニアオールスターにも選ばれるようになった。小学校の時、上手だったと圧倒された選手たちに追いつき、追い越すような選手に成長した。「中学の練習はきつかったけど、それ以上に楽しかったです」。また、プレーがうまくなると同時に身長も、入学の時の165センチから、卒業するときには182センチまで伸び、プレーの幅も広がっていった。
無名の選手が残した功績
高校は兄が通っていた高知工業高へ。憧れの先輩がいたこともあって、入学を決めた。しかし、高校時代はずっと高知県で2位。四国大会に出ることはあったが、愛媛や香川の優勝校に勝ったものの、同じ高知県内の明徳義塾高に敗れて結局準優勝という結果に終わっていた。「明徳義塾高には1回も勝てなかったんです」。そのため全国大会を経験したのは高校3年次の秋田国体のみ。
しかしその秋田国体が「一番の思い出」と語る。「ずっと全国大会に出れなかった僕が唯一出た全国です。結構勝ち上がって、個人的には自信をもらいました」。憧れの全国大会で爪痕を残した。「結構活躍したと思います。明徳義塾高のセネガル人頼りだったんですけど、その選手ばっかりがスカウティングされていて。周りも俺のことを知らないから、『こいつ誰だ』って。自分とセネガル人で70点近く取っていましたね」。
全国に出たことがない小原の、初めて出た全国大会での思い出だ。雑誌で見たことのある選手たちと対戦し、対等に戦えたことは、小原の自信につながった。
悔し泣きが嬉し泣きへ
その後の大学進学も「兄がいたから」と、大東文化大に入学する。入学当初は、大濠高や市立船橋高、北陸高などといった強豪校出身の選手に圧倒された。「自分は無名で、高知県から出てきて、試合でも他の大学の友達がいない。すごく孤独感や疎外感を一人で感じていました」。
それでも1年次のときの新人戦で活躍を残す。新人戦は毎年夏に行われる、1年生と2年生のみで出場する大会だ。「1年のときからフィーバーしました(笑)。でも頑張れたのはお兄ちゃんのおかげだと思うんです」。当時、入学した1年生は全員上位クラスのAチームに所属し、練習を行っていた。その後の夏合宿が終わる時期にAチームのままか、下部のBチームに分けられるという仕組みになっていた。
「兄に『一度Bチームに落ちたらずっとBチームだから、意地でもAチームに残れ』って言われたから頑張ろうって思えました。そのおかげでAチームに4年間所属することができましたね。自分が1年生の時に4年生に兄がいてとてもよかったです」。
また小原にとって初めての一人暮らし。「親の監視から逃れて、何時まで起きていても怒られない。そんなこと高校まではありませんでした。厳しくはないけれど、高校までは朝早く起きて、放課後も部活して帰って寝る生活。でも大学は自由!最高でしょ!」と、大学生活を笑顔で振り返る。
しかし、序盤の戦績はなかなか振るわなかった。小原が1年次の秋のリーグ戦で2部落ちが決まる。「当時、4年生も山本エドワード(現FE名古屋)さんしか出ていなくて、ほかは1年生の僕や遠藤(裕亮・現宇都宮ブレックス)が出ていました。正直勝てる気はしなかったですね」。
2年の夏には高知の国体予選で膝の靭帯にけがを負い、リーグ戦後半から出場したものの、チームは2部で最下位になってしまう。入れ替え戦でも負け、3部落ちかと思われたが、たまたまその年にリーグ編成があり、1部と2部それぞれ8チームから10チームまで拡大されたため、2部に残留することができた。
そして3年次には2部優勝、入れ替え戦で法政大に勝ち、念願の1部に上がることかできた。「めちゃめちゃ嬉しかったです。自分たちが4年になって1部でプレーできるなんて」。入れ替え戦は3戦行われ、先に2勝した方が次の年に1部でプレーできる権利を得られる。
「1戦目は大東が余裕で勝って、でも2戦目はボロ負けして、3戦目で接戦を制しました。一番思い出深い試合ですね。泣きました」。小さいころからの泣き虫は変わっていないが、悔し涙を流してばっかりだった幼少時代を経て、嬉し涙を流すようになっていた。
4年次は1部でプレー。リーグ戦では4位という結果にも貢献した。小原は「西尾コーチに感謝しています。僕を信頼してくれていました。無名な自分でも試合に使ってくれました」と、コーチへの感謝の言葉を述べた。「ディフェンスも多少はしていましたが、それ以上にたくさんシュートを打ってました。大東には外国人もいないので、日本人の力だけで攻めないといけないというのも余計にありますね。あとは真面目なところですかね(笑)?真面目でしたよ!今も真面目だけど(笑)。昼休みの自主練はずっとしていました。それを西尾コーチが見に来たりしていましたね」。コーチとの信頼関係も、小原の努力が実を結んだ結果だ。
プライベートでは、チームメイトとの交流も楽しんだ。「俺と遠藤は1年の時からずっと試合に出ていて仲が良かったし、バスケ部はみんな仲が良くて、部の車で銭湯に行ったりご飯食べに行ったり。遠藤と仲が悪そうって言われたこともありますが、全然そんなことはないです(笑)。俺と遠藤が副キャプテンで好きなようにやっていて、むしろキャプテンが大変そうでしたね(笑)」。
バスケを求め、1人で歩き出す
卒業後も兄の後を追って関東実業団の葵企業に加入する。「就活もしていなくて、兄がいるからっていう理由で何も考えずに決めました」。
しかし、バスケットが予想以上にできない環境にもどかしさを感じるようになった。「練習が週に1回くらいで、あとは仕事をしていました。ずっとフォークリフトを運転していましたね。土日休みのところで練習する生活でした。バスケができなくて物足りなかったです」。
兄の背中を追ってバスケットを続けてきた小原だったが、ここで新しくプロバスケットボール選手という環境に、一人で飛び込む決心をする。「兄がいたからこれまで正直楽でした。自分のことを周りが最初から認知してくれていました。でもそれがなくなるわけで、新しく人間関係も一から作っていかなければいけません。兄が作ってきた道を後ろから歩いてきましたが、自分の道を歩きたいなと思って、プロになる決心がつきました」。
履歴書を書き、自身の戦績をまとめて、自分のプレー動画を自ら作り、プロ球団の事務所に持って行くことから始めた。そんな活動を続けていた時、当時bjリーグ所属のライジング福岡のヘッドコーチに気に入られ、トライアウトを受けることになり、何とか結果をつかみ取った。
Bリーグ初年度のリーグ編成の際に、福岡のB3所属が決まり、岩手ビックブルズへ移籍することになる。Bリーグになったことで、変化も感じていた。「bjリーグよりも盛り上がっていると思うし、人の数もメディアの取り上げ方も試合数も増えました。また、1部と2部で分かれたので、上に行くという明確な目標ができましたね」。岩手では点を取ることに加えてディフェンスもさぼらない、マルチプレイヤーに成長した。
しかし、チームはなかなか勝てず、苦しい2年間を過ごす。「負け癖ってあるんだなって実感しました。めちゃめちゃ連敗して、外国人選手も怪我でいなくなって、試合のモチベーションがなくなるんです。でも毎回『今回こそは』って思っていました。外国人選手が戻ってきて連敗ストップできたときはうれしかったですね」。
2年間の岩手生活は、「一回はみんなに住んで欲しい」と語るほどお気に入りだった。「雪はすごかったけど、ファンはいい人ばっかりで暖かい。盛岡冷麺もおいしいです。あとは駅前に盛楼閣っていう焼肉屋があって、行きつけでしたね(笑)」。
地元も近く、仲の良い選手に誘われたこともあって愛媛オレンジバイキングスへ移籍する。「地元が近いので家族はよく来てくれました。チームにも何でも言い合える仲の良い選手やマネージャーがいたので、とてもやりやすかったです」。
愛媛は走るバスケ。「とにかく前に走る。速攻で走る。ディフェンスよりとにかくオフェンスでした。でもそういうバスケも楽しかったです」。走るバスケットを身に着け、次は東京Zの門をたたいた。
新しい自分を求め、東京Zへ
入団の決め手は「PGにチャレンジできるから」。シーズン前から東頭HCの下でPGとしてのスキルを学んでいた。
「柏倉(哲平)が怪我から復帰して、ガードのポジションをやることは少なくなりました。でもいつ何が起こるかわからないので、今のポジションをやりながら、常に準備はしています」。PGを始めたころ、ボール運びは小原にとってネガティブな要素になっていた。PGとしては身長の高い小原がドリブルをつくと、他のPGの選手に比べても高い位置になってしまい、相手に狙われやすい。しかし、試合をやるにつれて徐々に慣れてきた。「自分が大きくて相手が小さいので、安易にドリブルは付かないようにしています。でも身長がある分、体を使って押し込んだりできるかなと」。まだまだ伸び代が見込める。
始まったばかりの今シーズンを一度振り返る。「順風満帆ではないけど、ここでしかできないことをできていると思っています。小さい頃から試合に出ていたんですけど、ここに来てからたくさん試合に出れているわけではありません。今までのバスケット人生で出ていない人の気持ちを考えるということはありませんでした。良い経験になっています」と、苦い経験も自分の糧にするつもりだ。
加えて準備することの大切さを学んだ。「いろいろ新しいことは身についていると思うので、あとはコートで出すこと。コートでいかに出せるか。出せていないこともあるのでしっかり準備して、長いリーグ戦に備えていきたいです」。小原の成長が、東京Zが勝ち進むための鍵となる。
兄の背中を追ってバスケットを始めた泣き虫な少年はもういない。「兄は引退して、サラリーマンとして働いています。今でも月に1回くらいは会いますね。反抗期のときは喧嘩もすごくしていて、いまだにその傷跡は残っていますが、ずっと仲良しです」。兄がきっかけをくれたバスケットボール選手という道を、これからも小原自身で切り拓いていく。
12月5日6日は、昨シーズン小原選手が在籍していた愛媛オレンジバイキングスと対戦します!
戦友たちに、一味違う姿を見せつけましょう!
会場でのご声援よろしくお願い致します。
試合情報・チケットの購入はこちら
2019-12-03
Zgirls Mizuki 開幕前インタビュー
生い立ち、ダンスとの出会い。
私は小学校入学と同時にピアノ、英会話、水泳、剣道、と習い事をさせてもらってきたのですが、ある日の剣道教室で今現在の踊りの道への第一歩となる運命的な出会いを果たしました..笑
きっかけは本当に何でもないことです。当時通っていた剣道教室で私と同級生の友人のお母さんから、(友人の妹さんが新体操を習っていたそうで)『娘が新体操教室を辞めてしまうのだけれど、まだあまり使っていないレオタード(衣装)がたくさん余ってしまっていて捨てるのも勿体ないからMizukiちゃんどうかな?』と声を掛けられました。背が高くて(その当時は)華奢だったという理由だけで。笑
そもそも新体操とはどんなものなのか、私はまずその競技自体が分からなかったのでポカンとしてしまっていましたが...実際に可愛くてキラキラしたレオタードを見せてもらった瞬間幼心に衝撃が走り、やりたい!!!とすぐ心に決めました。後日近くにあった新体操教室を覗きに行き体験レッスンを終え、親の承諾を得てからすぐ入会することに。教室に入ってからは初めて持つリボンやボールなどの手具を触るだけでテンションが上がったり、さらに音に合わせて身体を動かして踊ることの楽しさをたくさん感じることができました。これまで続けてきた習い事の中でどれよりも楽しく、どんどんのめり込んでいきました。この感覚は初めてでした。ですがこの時急遽決めた中学受験を控えており勉強に専念しなければいけなかった為、習い事は塾一本に集中しなければいけない状況となってしまいました。中学受験を決めたのも本当にもうギリギリ間に合うか間に合わないかくらいの時だったのでとにかく時間がなかったです...漠然と受験することを決めてしまったので、まともに志望校すら決まっていなかったのですが新体操と出会って、新体操のある学校に通いたいと思ったのです。小学校の習い事としてやっていた新体操はお遊びのようなものだったのでただただ楽しいという気持ちだけだったのですが、教室の先生に受験校のことを話したときは、そんなに硬い体じゃあの学校ではやっていけないよ...と言われて一気に不安になり悔しい気持ちにもなりました。ですが意外にも当時の私は心が強く、子供ながらに負けず嫌いが発動したのかとにかく"やってやる!"という気持ちが大きく、勉強と並行して習い事をやめてからも柔軟だけは毎日欠かさずに日々の日課として取り入れて行っていました。前屈すらまともにできなかった私ですがなんとか入学までに前後左右と横開脚は180度開くようになりました!笑
やらなきゃ、とかやらされている、というよりもどこまでやれるんだろうっていう好奇心が勝っていたから努力が続いたのかな...と今では思います。笑
無事に希望の学校に入学することができ、選んだ部活動はもちろん新体操部だったのですがここからが本当に本当に地獄の始まりでした。小学生の頃に感じていた楽しい!という感覚はすぐどこかへ消えていきました...まず待ち受けていたのは厳しい上下関係。そして毎日朝晩体重ノートを提出し、徹底される体型管理。圧倒的にレベルの高い技術力。全てが思い描いていたものとはかけ離れていて、習い事と部活動の違いや厳しい現実を一気に突きつけられました。競技自体を楽しむということが中々できず、その環境の厳しさにとにかく圧倒される日々で、毎日怖さや不安や悔しさで泣き暮れる毎日でした。思い出しただけでも恐ろしさが蘇ります...笑
当時は同期との絆でなんとか壁を乗り越えることができましたが、現役のときはほとんど楽しい、と思えることは無かったですね...終わってみて、良かったよねって振り返ることはできますがもう戻りたくはありません。笑 ただ、ここにきて初めて仲間が居てくれる大切さ有り難さを強く感じることができました。顧問の先生も先輩も厳しく、本当に辛い毎日でしたがここでの経験が今の私を作ってくれたと心から思います。縦、横のつながりの大切さや人への思い遣り、気遣い気配りなど社会に出てから困らないように人として大事な部分を叱られながらもたくさん学ぶことができたのは間違いなくこの環境があったからだと感じています。そんな中学での部活動も終盤を迎え、中学3年生となり最後の大会を控えていた頃。ある日突然私は急性腹膜炎で倒れ、緊急入院からそのまま手術を受けることとなってしまいました。本当にまさかでした。これまで怪我も病気もしたことがなかったのに....頭が真っ白でした。引退前最後の大会は初めてAチーム団体のチームリーダーとして出られる試合で大きなチャンスだったにも関わらず、思わぬ事態で出場を見送ることとなりそのまま引退となってしまいました。
本当に本当に悔しくてやるせなかったです。もう立ち直れないくらい悲しかったのですが、これだけの出来事があったから私は高校まで続ける決心ができたのです。力を出しきれず悔しいまま去るのはどうしても嫌だったので、すぐにでも辞めてしまいたいと思っていた部活動でしたが中学からただ1人、強い意志を持って高校まで続けることを決めました。そうして計6年間、新体操部での活動を続けてきましたが急性腹膜炎手術による影響や、更に高校に入ってからも両膝の半月板損傷による手術の影響で思うように結果を出せずにいました。怪我のせいだけではありませんし、もちろん実力の問題ですが新体操の経歴ではこれといった結果を残すこともできず顧問の先生からは基本的にいつも怒られてばかりでしたね。...とこんな私ですが実はこの頃にも中学キャプテン、高校副キャプテンを務めさせてもらっていたんですよ。笑 この経験が少しでも今に繋がっていれば嬉しいのですが...。
少し話が逸れてしまいましたが当時新体操部では、年に2度学内でのイベントでダンスを踊る機会があったのですが、チアリーダーの道へグッと近づき繋がるきっかけとなったのはまさにこの経験でした!!普段なかなか褒められることのない私が、ダンスの時だけは唯一嬉しい言葉をかけてもらえることがありました。単純なもので、それが本当に本当に嬉しく、先生からの勧めもあって高校卒業後も踊りを続けることにしたのです。もう少しこの道で挑戦し続けてもいいのかな、と。ちょうど進学をどうするのか迷っていた時に私は自分自身が本当にやりたいこととは何なのか?と考えたらやはり"踊りの道"しか答えが出なかったんです。現実世界、踊りを仕事にしている人なんてほんの一握りしかいないことも知っていましたがそれでも挑戦したいと思い、その気持ちを貫き通してダンスの専門学校へ進む道を選びました。両親からの反対や周りの人から心配する声ももちろんありましたが...必ず成果を出して認めてもらって、いつか心から応援してもらえるように結果を出そうと決意し進学しました。新体操経験しかなかった私はもちろんダンスは初心者。初心者歓迎!と謳っていたダンスの専門学校でしたが周りを見渡せば初心者なんてほとんどいませんでした。
あの頃はとにかく心細かったなぁ....授業についていくのがやっとでとにかく必死でした。そんな私は学校とは別にダンス教室へと通い、2つの場所でhiphopやjazz、balletやhouseなど様々なジャンルのダンスを学びました。初めてのことだらけで大変でしたが、頑張れば頑張るほど楽しく授業を受けることができたりチアの活動へもプラスに繋がったり...とできることが増えると同時に少しずつ余裕が生まれて段々と楽しんで取り組めるようになっていく感覚がたまらなく嬉しかったです。
でもこうして過去を思い返すとその場を楽しんでいるというよりも、割と必死になっていることの方が多かったかなと思いますね。全然まだまだなのですが、ここまでは追われてばかりの人生だったなぁと。でも、同時にこんなに必死になってまで夢中で追いかけたい事があるって幸せだなぁと感じることもできます。常に緊張感のある毎日、新たな発見も多くてとっても楽しいです。
......さて、やっとここまできました。笑
ここでいよいよ!アースフレンズ東京Zとの出会いです。専門学校在学2年目にして、Zgirlsのオーディション情報が飛び込んできました。私は新体操の経験があったこともあり、なんとなくチアリーダーに興味があったので先生の勧めで受けてみることにしたんです。この時は学校でのオーディションと一般オーディションに分かれていて、私は学校でのオーディションを受けたのですが受験人数はわずか5~6人ほどでした。もちろんその年にできたチームなので知名度も何もありません。正直、大変失礼ながら本当にこのチーム、大丈夫なのかな.....とこっそり思ってしまっていました。それがまさかこんなに大きなチームになっていくなんて。感動の一言では言い表せません。この時素直に受験していて本当に良かったと心から思いました。何事もまずは一歩踏み出して挑戦してみるべき。これは絶対!...さて、ここから私の人生は大きく大きく変わっていきます!!
あなたにとって東京Zは?Zgirlsは?
私にとってアースフレンズ東京Zとは"第2の家族"です。このチームはとにかく温かい!!!!至る所で温もりをたくさん感じることができるんです。チームに関わる全ての方が心から思い遣りや優しさに溢れていると感じますし、一人一人が真面目で一生懸命で、チームの為なら自己犠牲を厭わない...そんな熱い想いと大きな愛を持った頑張り屋過ぎる方達が集まった本当に素敵なチームだと思います。ここまでやるか!?ってくらい、チームの為にみんなが全力を尽くして取り組むチーム。私はこういう素敵な姿勢を持った方達に圧倒され刺激を受け、多くの影響を受けましたね。良い意味で、Zには変わり者が多い気がします。笑 でも、本当に心の底から尊敬したいと思える人達だらけ....。幸せな環境に居させてもらえていること、当たり前ではないこの環境に改めて感謝しなくてはいけないなと思います。
そして私にとってZgirlsは、"生き甲斐"です。
と、少し重たい言葉を選んでしまいましたが....笑
でも本当に今の私にとってはZgirlsの活動無しの生活は考えられない!という程この活動に夢中なんです。実は普段は全く別のお仕事もしているのですが、よく仕事とチアの両立は大変じゃないの?と聞かれることがあります。たしかに自由な時間はあまりなく、忙しく感じることもありますが苦しいと思うことは全然ありません。むしろ、仕事の疲れやたまに感じてしまう悲しさもZgirlsの活動で癒されています。毎回の練習や試合やイベントなど、行くたびに莫大なパワーを貰っています!!だからこそわたしにはこの活動が無いと本当にダメなんですよ...笑 もともと暇さえあれば外へ飛び出してアクティブに動いていたいタイプなので性に合っているのかもしれませんが!笑
先程チームのことを第2の家族だと話しましたが、Zgirlsのメンバーはみんなその中の姉妹、のような存在です。切磋琢磨し合いながら時には厳しくも活動していますがみんなと一緒にいると本当に落ち着くし、なんでも話せる大切な大切な仲間なんです。何度も言ってしまっていますが一人残らず全員が本当に謙虚で、真面目で、一生懸命で真っ直ぐな心を持っていて誠実で...そしてとにかく仲間想い!!心が温かくて優しいんです。そんな仲間達から学べることは日々たくさんありますし、私ももっと頑張らなくちゃ!と刺激をもらうことばかりです。Zgirlsに入ってからは、チアリーダーとしての在り方はもちろんのこと、それ以上に人として女性として大切なことをたくさん教えてもらいました。その部分ってなかなか教えてもらえることではないと思うので本当にこのチームに入れてよかったなと心から感じています。こればかりは5年前にこのチームを受験した自分をとにかく褒めたいです....!笑 あの頃Zと出会わなかったら今の自分はどうなっていたのだろうか、なんて想像するだけで恐ろしいです。きっと人生がこんなに楽しい!と思えていなかったと思います。またまた重たいですね。...ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれないですが決して嘘ではありません。笑
Fukaさんが創り上げるZgirlsは、まさに私が目指したい理想の女性像です。謙虚で真面目で、細やかな気配りができる品のある女性。Zgirlsでいる時もそうでない時も、そんな人間で居られたらと常にこれらを心掛けています。これから先もZgirlsの活動を通してチアリーダーとしてはもちろん、1人の人間としてももっともっと大きく成長していけたら嬉しいです。"生き甲斐"だと謳っているくらいなので、私はもっともっとこのチームで喜びや幸せを味わいたいです。小さなことから大きなことまで。ひとつひとつを大事に積み重ねて、チームが上へ向かっていく為にもっともっと貢献していきたいです。チームに与えて貰うばかりなので私からもなにか還元できるよう、自分にできること、自分にしかできないこと、懸命に取り組み続けていきたいと思います!
成長できるかできないか、必要としてもらえるかそうでなくなるか....何においても最終的に全ては自分次第。どんな時も絶対に手を抜かず、常に全力で挑み続ける自分で在りたいです。そして必ず、これらを有言実行します!!!!
まだまだこれからもこのチームの中で変化していく姿を見守ってくださると嬉しいです。楽しみにしていてください!
チームに入って今まで一番大変だったことは?どうやって乗り越えられたか?
一番....なんでしょうか...たくさんあります。笑
ですがそれはチームが、とかメンバーが、とかではなくほとんど自分自身の問題でしたね。
まずは一年目に苦労したのはやはり恥ずかしながら体型の問題。チームに入れて頂いてから最初にぶつかった壁は自分自身の身体についてでした。お仕事として人前に立つことが初めてで何もかも未熟だった私。今思い返すと本当に恥ずかしいです。頭でわかっていても、常に人に見られているというプレッシャーや追い込むほどに感じていくストレスによってなかなか思うように結果が出ずものすごく苦しんでしまい活動を心から楽しめなかった時期があったのですが、そんな時Fukaさんが声をかけてくださり、私の苦しみに親身になって寄り添ってくれて、自身の昔の体験談を交えながらお話ししてくださったことが何よりも心強く、大きな励みになりました。当時から、私からみたFukaさんは何もかもが完璧で悩みなんてきっと無いのだろあなぁと勝手に思ってしまっていたので(それくらいもう素敵な女性として完成されていたので...)そんな方から同じような悩みがあったということを聞くことができただけでもわたしの心は本当に救われました。自分1人じゃないんだって。誰だって最初からうまくいくわけない。失敗があるから成功に繋がる。そうやって大切なことをたくさん教えて頂きました。個人的な目線になってしまいますが、チームに入ってから一番苦しんだことを選ぶとするならばこれですかね。思い返すとやはり初年度には特別な思いがたくさんあります。それからもう早5年が経とうとしていますが、色々なことがありすぎて、まだまだ語りきれません...笑
ですがこれだけは言えます。初年度から変わらずずっとZgirlsのメンバーは本当にみんなが仲間想いなので、チームのことでもプライベートなことでも何かあるとすぐにその異変に気が付いて声を掛けてくれます。どんな時も親身になって話を聞いてくれたり、大きな優しさで支えとなってくれます。辛い時も1人じゃない、と思わせてくれます。それが本当に心強いです。メンバーの存在に何度も救われ支えられながらいろんなことを乗り越えることができました。きっとこれからもたくさんお世話になると思います。笑 人と人とで支え合うことの大切さ、またそれに対して感謝の気持ちを持つことなど当たり前のことだけれど見失ってしまいそうな大事なことを当たり前のように教えてくれる、そんなかけがえのない場所です。この環境に身を置けること、心から感謝したいです。出会えてよかった。
なぜこのチームを続けたいと思ったのか?どんなZgirlsになりたいか。
Zgirlsと出会ったのは6年前。当時、ただなんとなく"チア"がしたいなーという想いだけで、大したこだわりも無く学校の先生に勧められるがまま目の前に飛び込んできたZgirlsオーディションを受けてみました。右も左も分からぬまま入ってみて、最初は厳しいなー、練習辛いな、と思う日々が続きました。当然できないことが多かったのでその分悩みも多くストレスを感じてしまったり、正直うまくいかないことの方が多かったのですが気持ちが変わりはじめたのは1年目の活動が終了する頃でした。こだわりが無いまま入った環境でしたが、私は次第に東京Zのことがどんどん大好きになっていきました。スポーツを応援することの楽しさ、何も無いところからみんなで創り上げていくことの達成感や、だんだんと大きく、想いが形になっていく幸福感。1年間だけでもこれら多くの喜びを感じることができました。それから私はまだまだこのチームで学び成長し続けたいと願い、あっという間に所属し続けて6年目となりました。
まだまだやりたいこと、成し遂げたいことたくさんあります!!!このチームは本当に希望と可能性に溢れるチームだと思っているのでまだまだ大きくなっていく様子を近くで、一員として一緒に見守っていきたいなという気持ちが強いです。なんて思い返していたら泣けてきました....
これも何度も言ってしまっているのですが、Zgirlsに入って、チアリーダーとしての在り方以前に人として、女性として大切なことをたくさん学ばせてもらいました。チアがしたいから、ただ人前で踊れればいいからという理由でここに居るのではありません。私にはこの場所にこだわる理由がこれだけたくさんあります。一番は、アースフレンズ東京ZをZgirlsとして応援し続けたい。その一心です。環境の良し悪しに関係なく、この想いがブレることはありません。そしてZgirlsという素敵な女性像を体現して、それを多くの方に知ってもらいたい。その為に私はまだまだ活動を続けていきたいと考えています。老若男女問わず愛されるチームに。そして将来Zgirlsになりたい!と思ってくれる子供達が増えてくれたら嬉しいなと思っています。多くの方に元気やパワーを、心温まるような何かを届けられる存在であれるように。そして多くの女性から憧れてもらえたり、子供達に夢を与えられる存在となっていけたらいいなと思っています!!
今シーズンへの想い、ファンへのメッセージ
今シーズンのチームスローガンは" Go!Amazing!~一歩先の感動を~"
試合観戦やイベントなど楽しんでもらうのはもちろんのこと、今年は更にあっと驚くような出来事を増やしていけたらいいなと思っています。その為に、私も日頃から常にプラスαの努力を心がけて積み重ねていきたいと思っています!
いつもやっていることだけでなく、新しい取り組みを増やす。少しずつでもちょっとした頑張りを日々追加していくことを徹底したいです。それが習慣となって良い成果に繋がるように!そして何事も積極的に行動していくことを誓います!笑
アースフレンズ東京Zのホームゲーム会場がいつでも喜びと驚きで溢れますように。そして勝利の笑顔がたくさんみられますように!みなさんとたくさん笑顔でハイタッチがしたい!!
今年は変化の年だと思っています。今までのいいところも活かしつつ、新しいことにどんどん挑戦をして、新たな変化を生み出せたらいいなと思っています。今シーズンも最後までエンジン全開で駆け抜けていきましょう!!!!!!
大好きなZファミリーの皆さんと戦えることに心から感謝をして。精一杯努めて参ります!シーズン開幕が今から本当に楽しみ....!みなさま、2019-20シーズンもどうぞよろしくお願い致します!
2019-09-27
MC Ume&DJ Toshiki 開幕前インタビュー
Bリーグが掲げる理念の一つ「エンターテイメント性の追求」
東京Zの演出に欠かせないうちの1つに「MC&DJ」が上げられるだろう。
今回は、東京Zの会場の雰囲気を作り上げるMC Ume&DJ Toshikiにその想いを聞いてきた。
東京Zとの出会い
【アースフレンズ東京ZのMC Ume&DJ Toshikiになるまで 】
U)「アースフレンズ東京Zになる前から、
実は山野さんと3,4時間くらい大井町のバーガーキングで2人だけで話し込んだ
こともありますよ。(笑)」
と、当時を振り返る。
U)「山野代表は、話でっけえなって思うくらい
世界に通用する選手を輩出したい」とおっしゃっていて、
野望がでっかい人だったから「楽しみだな」「面白そうだな」と思っていました。」
山野代表の熱さに惚れ込んだMC Ume。
しかし・・・
U)「チームをつくるとなったときに、MCに声かかるのかなと思ったら・・・
かからんのかーい(笑)っていう。声はかからなかったんですよ。
でもそのときからアースフレンズ東京Zというチームは気になってました。」
【東京Zにゆかりのあるあの選手が鍵となり話が動き出す・・・】
U)「当時は、僕とToshikiは東京サンレーヴスで活動していました。
(サンレーヴスの)4年目のシーズンが終了し、5年目のシーズンの契約の話をした日の夕方にチョモ(中村友也選手・現埼玉ブロンコス)から電話がかかってきて、
「東京ZがUmeさんと話がしたいそうです。」と。
心の中で「おっ、山野さん・・・このタイミングか」って思いました。」
「そこからすぐに話す時間を作り、一緒にやることが決まりました。」
U)「僕らのことをいいなって思ってもらえたきっかけとして考えるのは、
サンレーヴスが東京Zの(共同開催)前座試合をやったとき・・・。」
T)「ああ~、そうだ。ありましたね。」
U)「そのときに僕らの演出をみて
(東京Zに)来てほしいと思ってくれたんじゃないかなと。」
「東京Zからの話があってからすぐにToshikiに
「東京Zからオファーきたけどどうする?」と電話で相談しました。」
T)「ずっとUmeさんとやってきて・・・とても信頼していたので」
U)「僕の仕事(演出)を会場で実現するにはDJToshikiが必要なんですよ。
僕の意思そのものを音として表現してくれるのはDJToshiki。
必要不可欠な存在なんです。」
「今では、プロバスケットの会場で、一番最初にMC&DJで演出をやったのは僕らって胸をはって言えます。”東京のかっこよさを表現する”僕たちなら絶対できるという自信があります。だけど最初は、東京Zに受け入れてもらえるか不安でしたね。」
東京アパッチや東京サンレーヴス(B3リーグ所属)で活動してきたMC Ume&DJ Toshiki。
2人の演出は常に進化を遂げている。
当時の東京Zにはないワイルドなカラー、異なる文化を持ち合わせる彼らと東京Zを融合させることが出来たとき、ホームゲーム会場は大きく盛り上がる。
彼らが求めるホームゲーム会場とは
U)「僕らのやってきた経験を東京Zと融合させることかな。」
T)「東京Zの会場には、毎回駆けつけるファンも一般のファンも多い。
来てくれたお客さん全員を一番楽しい状態にすることを第一に思いながら演出をしていて、その方法は2つあります。それは、
”お客さんが好む音楽をかけること”と”選手がかっこよく見える演出をすること”。
選手がかっこよく見えるっていうのがかなり重要なところかなと思うので、
後者の視点も持っていたいなと思いますね。」
U)「新しくて、かっこいい。東京Zに合う曲をチョイスしているんです。」
「音楽で選手をブランディングする」この言葉に演出の奥深さを感じる。
NBAで流れている音楽をタイムリーにかけているというDJ Toshiki。「特に意識はしてない。」と話すが、「東京」という土地だからこそ流せる「かっこいい」音楽が、相手チームの外国籍選手が話しかけてくるほど、選手の間で好評だ。
さらに2人は、
U)「今では、言葉なんかいらないくらい。Toshikiとはアイコンタクトで場の雰囲気に合わせた演出をしている。」
T)「なんとなく、Umeさんだったらこういうイメージをしているだろうなというのはわかってきますね。特に第4クオーターなんかは。」
U)「試合展開が悪い時が一番大変だね。」
T)「そういう時こそ、頑張らなきゃいけない。引いちゃいけないと思いますね。」
昨季の最終戦、無音の中ファンの声援だけが響く時間があった。その瞬間を「これまでやってきた中で一番ベストな時間だった。」と話す2人。長年培ってきたチームワークと、Zgirlsやファンが融合し、最高の瞬間を作り出していたのだ。
醍醐味は優しい人を熱くさせること
東京Zのファンについての印象を聞くと、
U)「優しい。試合で負けても、「また次、頑張れよ!」と言ってくれるのは、ファンの優しさなんですよ。」
と答えが返ってきた。
MC UMEはこう続ける。
U)「でも、それに甘えちゃいけないんです。
僕らの役割は、優しい人たちを熱くさせるのが醍醐味でもあるし。」と意気込む。
4年目につながる3年目に
今季の目標を聞くと、
U)「やることに大きな変化はないんですよ。1年目は、エントリーシーズン。;
2年目は、イノベーション。(「Znation」の登場や、「EFTZ」ロゴの制作など。)
3年目(今季)は、”あなたたちなしでは東京Zの演出は成り立たない”と
ファンやチームから言ってもらえるようになりたい。
4年目につながる3年目にしたいね。
お客さんがサーカスを見終わったときのように「また見に行きたいね!」と言われる会場をつくりたいよね。」
T)「シーズン通して良い試合ができるという流れにできたらいいなと思いますね。」
2年前、東京Zに新しい風を吹かせたMC Ume&DJ Toshiki。
2人が作り出す会場の雰囲気を生で感じて欲しい。きっと普段のバスケット観戦がさらに楽しくなるはずだ。
チケットの購入はこちら
2019-09-27
Zgirls Koto 開幕前インタビュー
自分の生い立ち、ダンスとの出会い。
私は、年少から高校3年生までジャスダンスをしてきました。ジャズをしながら、小学5・6年生ではバスケ。中学生はバレーボール部、高校でチアダンスをしていました。ジャズをする前から音に合わせて踊るのが大好きで、友達に誘われて入ったのが最初です!始めた頃は、負けず嫌いで出来ないと大泣き…泣いたら最後までやらずにいじけて、手がかかる子だったよと先生に会う度にいまれます。笑
そんな私が、ダンサーになりたいと思った1番の出来事があります。中学3年生の発表会で、1つのストーリーをダンスだけで演じるものがあり、そこで主人公に選んでいただくことができました。その時期は丁度、東日本大震災があった年で発表会もやるかも分からない状況でした。ですが、少しでも周りの方を元気づけるために開催されました。見に来てくださったお客さんが感動して涙を流していたことを知って、ダンスで人を感動させることが出来るんだと肌で感じ、『素敵なダンサーになりたい』と夢を持ちました。
そこからダンス部がある高校を探して、チアダンス部がある高校に行きました!3年間、頭の中は勉強よりもチアばかり…笑 楽しくてしょうがなかったです!
1年生では、映画にもなった『チアダン』の舞台 フロリダで全米大会へ出場して3位。最後の大会も、全国3位で終わることが出来ました。
ここからが大変で、高校から専門に行く時がとても苦戦しました。最初、母にダンスの専門に行きたいと言ったら大反対。諦めて大学に行こうとしていました。でも、将来を想像しても中々自分が普通に仕事をしている姿がしっくりこなくて…
それでも決断ができたのは、高校の担任の先生やジャズの先生が私に「Kotoは、ダンスに光るものがあるから絶対諦めちゃダメだよ。続けなさい。」この言葉は今でも心に残っています。私は、やって見なきゃわかんない!と母に伝え、やれるだけやってみなさいと何とか説得出来ました。
自分にとって東京Zとは?Zgirlsとは?
私にとっての東京Zは、私を成長させてくれた場所です。言葉使いや、連絡の仕方、服装、ヘアメイクなど、本当に色んなことを教えていただき、成長出来ました。ただ、本当に怒られてばっかりで大変ご迷惑をお掛けしました(汗)
あとは、社会人として様々な経験をさせていただいたりと、ここで学んで成長したと言っていいほどです!アースフレンズ東京ZでZgirlsとして学んだことは、他のところでもしっかり活かせています!
チームに入って1番大変だったこと
入った最初の頃は、競技チアからパフォーマンスチアになることですね。慣れないしなやかな動き、髪さばきが大変でした。でも、ルーキーの年に、オールスターゲームに出演させていただき、沢山のチアリーダーを見て学び、研究することが出来ました。
あとは、人見知りを頑張って克服することです。慣れてしまえば全く問題ないのですが、中々自分から話しかけられず苦戦しました。まずは、とにかく技術的なことを自分から伝えていこうとしました。すると相談をしてくれる子が増え、私も話しかけにいけるようになりました。
なぜこのチームを続けた理由と目標。
シーズン通して毎年感じていることですが、他のチームにはない温かさ、アットホーム感がとっても大好きです!どんなに負けても、悔しかったね!でも、また明日頑張ろう!明日もよろしくね!という言葉が出てくるのは、皆さんが本当に東京Zが大好きで応援してくれるから出てくる言葉だと思います。そんな、皆さんと一緒に応援したい!勝利を喜び合いたい!と思いこのチームを続けました。
Zgirlsとしては、私達はいつでもファンの皆さんに寄り添いながら一緒に応援をしていけるようなチームになりたいです。Zgirlsに入ってからずっと大切にしていること。そこを崩さずパフォーマンスも高めていきたいです!
今シーズンへの思い、ファンの皆さんへメッセージ
日々私達を支えてくれる皆様には、本当に感謝しかありません。支えてくれている分、私達はパフォーマンスで恩返しをして行きたいです。今年はパフォーマンスもガラッと変わる部分をお見せできると思います。楽しみにしていてください!!
そしてたくさんの勝利、笑顔が見れるよう、さらに皆さんの応援をリードします!勝利するには皆様の熱い熱い声援が必要です。一緒に応援をよろしくお願い致します!
チケットの購入はこちら
2019-09-26
小原良公 開幕前インタビュー
今シーズンから東京Zの新戦力となった、小原良公選手。SGからPGへ。新天地で新たな挑戦に向け、スタートを切った。
「僕にとって、ここが成長できる場所だと思った」
「東京Zは柏倉や増子を中心に、ガード陣のピックアンドロールの使い方が上手というイメージで、チームとしてもガードを育てることに力を入れているという印象はありました」。前々から東京Zに興味があったという小原。東頭HCと話す機会を設けてもらった。
「東頭HCは熱い気持ちを持った人です。話した時に、僕を『PGとして成長させたい』という思いを強く感じました。実は僕も以前からPGのポジションに興味を持っていたんです」。大学の時までは点取ることが大好きなポイントゲッター。プロ選手としてプレーするようになってから、パスやアシストにも魅力を感じるようになった。「プロに入ってからPGをやる機会はなかったのですが、やってみたいという気持ちはずっとありました。東頭HCも僕に『PGをやってくれ』、と言ってくれたので、それが入団理由の一つです」。
もう一つの理由は、東京Zの環境にある。「会社の体制などをいろいろと聞いた際に、酸素カプセルや足をケアする機械も取り入れていると聞きました。環境が選手やチームにとって良い方向に変わってきているし、もっともっといい環境にしていくという気持ちも感じました。僕にとって、ここが成長できる場所だと思いました」。自分を成長に導いてくれると、チームを信頼し、東京Zの門をたたいた。
フロントとコートの結束力
これまでのチームとの違いを聞くと、「フロントとコートが一緒になってミーティングを行ったり、食事会を頻繁に開催するということは、今までのチームにはありませんでした。こういうことをやって売上を伸ばしていく、観客を増やしていく、というのをフロント側から具体的に選手の僕達にも説明してくれます。フロントスタッフが頑張っている姿を見て、改めて試合会場やイベントでのファン対応の姿勢を考えながらするようになりました」。
フロントとコートがが一つになって運営に取り組んでいる点は、東京Zの強みの一つである。「よくあるのは、フロントはフロント、コートはコートで2分化していて、HCやキャプテンだけがその間に立つ組織です。東京Zのように、選手全員とフロント全員で交流を持つのは初めてです」と、新しい環境に感心した様子を見せた。
またチームメイトとの交流も盛んである。「練習が終わったあとや、チームディナーなどでコミュニケーションを取っています。それでも練習は激しくバンバンぶつかって、時には言い合ったりもします」。オンとオフの区別をしっかりし、言いたいことは言う。東京Zの一員としてチームに溶け込んでいた。
SGからPGへ
小原は現在、本来のポジションであったSGに加え、PGの練習に取り組んでおり、本格的にSGからPGへとコンバートする準備をしている。小原のストロングスポイントは、体を張ったプレー。187センチの小原は、PGとしては柏倉や久岡に比べ、大型である。
「自分は身長があるので、小さいガードがマッチアップしてきたら体を張ってゴールに向かって突っ込んでいきます。行けるならシュートまで行く、難しかったらパスやアシストができます。自分の良さを最大限に発揮できるようになりたいです」と、SGからPGへとコンバートできるポテンシャルも、気合も十分に備えている。
PGとしての技術は東頭HCから学んでいる最中だ。「東頭HCは知識が豊富で、たくさん試合も見てきています。『ここはこうする』とはっきり言ってくれるので分かりやすいです。僕も『じゃあ言われたようにやってみよう』という気持ちになります」と、楽しみながら練習に励んでいる。
「知らなかったことも多く、教えてもらったことが、やっと練習では出るようになってきたところです。それでも、いざ緊迫した状況になると、忘れてしまいますね。PGは冷静でなければいけないと思うんですが、そのあたりはまだまだです」。
PGに必要な冷静さや精神力もトレーニング中だ。「メンタルは強くありたいと思っています。でも実際はメンタルに強い弱いというのはないらしいんです。メンタルの強さは、嫌な気持ちに陥った時に、その後の対応を知っているから、というのを聞きました。つまり、嫌だと感じた時に、それをどう自分の中で解決するか。解決方法を、色々なパターンで知っているか知らないかだと思います」。小原はその解決方法も勉強中だ。「それでも不安な時は不安ですし、調子がいい時はいいです(笑)」。
小原選手にとっての「Go!Amazing!」
最終戦までの目標を尋ねると、「最高のPGになりたい」と即答した小原。「自他ともに認めるようなPGになります。アシストもできてシュートもできてドライブもできて、チームを勝利に導けるようなPGになりたいです。敵から、マッチアップしたくない、ボールを持たせたくない、と思われたら一番いいですね」
加えて「ファンの人が、試合を見終わった帰り道に、『感動したな』、『明日から頑張ろう』、『辛いけど明日も会社に行こう』、と思ってもらえるような、人の心を動かせる試合を届けたいです。毎試合魅せます!」と最後にファンを第一に考えた言葉を発してくれた。
「ファンのみなさんは優しい人ばっかりで、『よっちゃん』と呼んでくれます。呼びやすい呼び方で呼んでもらえたらうれしいです」
東京Zでの小原は、これまでの小原を知っていた人たちにとっても、知らなかった人たちにとっても「Go!Amazing!」な存在になる。チームにとってどんな起爆剤となるか。新たな戦力を迎えた東京Zの開幕はすぐそこだ。新戦力小原と東京Zが巻き起こす旋風を、会場で確かめてほしい。
チケットの購入はこちら
2019-09-25
柏倉哲平 開幕前インタビュー
今シーズンはキャプテンに任命され、「チームの文化」の担い手となる柏倉哲平。個人としての成長は感じつつ、今シーズンはチームを勝利に導けるようなPG、キャプテンを目指す。
昨シーズンを振り返って
「伸び代を残した50点」
昨シーズン行われた60試合全ての試合でコートに立った柏倉。「チームに貢献するという個人的な目標は達成することができて達成感はありました。でもチームの結果は2年前と同じだったので悔しさが残るシーズンでもあります」と、昨シーズンの後悔を振り返った。昨シーズンは22勝で中地区4位、その前のシーズンは20勝で中地区最下位という結果だ。「もう少しこうしておけばよかったかなと思うところはありますし、悔いが残るシーズンでした」。チームとしていい成績を残すことができなかったことに、反省点を挙げた。
それでも昨シーズンの最終戦、迎えたホームゲームで東京Zは20点以上離れた点差を後半で詰め寄り、最後まで勝敗が分からない試合に持ち込んだ。そして第4ピリオドの最後の最後、大勢の東京Zファンが見守る中、逆転シュートを決めたのは柏倉だった。「正直あの時は、開き直ってプレーしていました。思いっきりやろうと思って、考えるよりもとにかく打つ。結果として、しっかり守って走る、東京Zらしいバスケットに繋げることができました。これはなんとしても落とせない、絶対に勝つ気持ちでいました」。個人の成長に加えて、チームの成長も感じていた。「点差が離れていた中でも、ファンの皆さんが声を出して応援してくれる状況はなかなかありません。応援が後押ししてくれた、ということを身に染みて感じました。あんな試合を増やしたいと改めて思いました」。
そのプレーには、柏倉が積み重ねてきた練習の成果が現れていた。「実は一昨年の最終戦のホームゲームでも自分がラストシュートを打って、それが外れてしまったことで負けてしまったんです」。一昨年のシーズン最終戦も、運命のラストシュートは柏倉に託されていた。その柏倉が放った最後のシュートはレイアップシュート。ビッグマンがブロックに来たため、ボールを浮かせることでディフェンスをかわそうとしたが、あいにくシュートは外れてしまった。一昨年のシーズンが終わってから去年のシーズンを迎えるまで、柏倉は当然忘れることはできなかった。「ビッグマン相手に浮かせてシュートを打つことは、シューティングの時に必ず練習していました。偶然、昨シーズンのラストプレーも同じようなシチュエーションになって、そこで決めきれことは本当によかったと思っています。少しは報われたのかな」。自分なりに成長を感じている。
一昨年のルーキーイヤーは、「先輩たちに活かしてもらっていたから30点」と柏倉は過去のインタビューで答えていた。「昨シーズンは一緒にPGとしてプレーしていた西山さん(西山達哉選手・現信州ブレイブウォリアーズ)が怪我をして、自分が多く試合に出場する機会をもらえたことが大きな変化でした。たとえシュートが入らなくても、自分は積極的な姿勢を見せ続けなくちゃいけません。メンタルの保ち方も変わりました。人に頼るというよりも自分がゲームコントロールをして勝敗を左右するプレーに関わらなければいけないという、責任感が芽生えましたね」と、一昨年のルーキーイヤーから昨シーズンの自身の成長を振り返る。「昨シーズンはルーキーイヤーよりはアップして50点くらいでいいんじゃないかな(笑)」。それでもまだ50点の伸び代を残している。「スキルもゲームコントロール能力も人並みではダメだと思っているので、より高いレベルを追い求めていかなくてはいけないということで、50点を残しました」。自身の成長を感じつつも、まだまだ成長途中でもある。
キャプテンとしての覚悟
そんな柏倉は、今シーズン東京Zのキャプテンを務める。「チームはキャプテン次第で変わると思っていて、キャプテンの姿勢、鼓舞の仕方、まとめ方でいくらでも成長すると思っています」。小学生の時から大学まで、キャプテンを務め続けてきた経験がある柏倉は、その経験を生かし、東京Zでのキャプテン象を思い描く。「責任はありますが、今までよりチームに目を配ってアドバイスをしたり、チームメイトを鼓舞したり、常にチームのことを考えてチームを見て行動しなければならないなと思っています」。キャプテンとして様々な経験をしてきた柏倉。責任感で押し潰されたことも、苦い思い出を味わったこともある。「キャプテンは、そう甘くないということも分かっています。言うところはしっかり言って、チームを勝たせられるようになりたいです」。
また、今シーズンの東京Zは比較的若いチームなった。その分、コミュニケーションは取りやすく、プレーに関しても話し合える関係性が生まれている。しかし「接戦をものにできるような試合勘が足りないと思います」と、若いからこその課題もある。一方で「プレーオフのような一発勝負は勢いが大切だと思います。何が起こるかわからない試合なので、そこで人を沸かせられるようなチームになっていきたいです」。若さでチームに勢いをつける。
そして今シーズンのキャプテンは増子匠選手との2名体制。「増子さんも一緒に、二人で協力しあってコミュニケーションを取れています。自分は声を出すことでチームを鼓舞して引っ張って行くタイプなんですけれど、増子さんはどちらかと言うとプレーや姿勢で引っ張っていくのが得意なので、それぞれの特徴を活かしていけるんじゃないかなと思います」。
開幕に向けて
開幕に向けたチーム練習としては、オフェンスの連携を深めたり、フィジカルを使ったディフェンス、トレーニングにも力を入れて取り組んでいる。プレシーズンゲームも終え、課題が明らかになった今、高い強度や徹底度を求めて開幕までの調整中だ。しかし柏倉は先日クリーニング手術を経て現在もリハビリ中のため、練習には合流していない。「右足の筋力アップや、体のバランスが悪いので整えるトレーニングを積んでいます。これから量も増やしていって、コンディションを上げていかなければいけません。
長い戦いになると思うので、我慢強く辛抱します。復帰した際には、体の強さや当たり負けしない体幹を身につけた上で、コートで躍動できるようになります」と、ポジティブな考えを示した。シーズン開幕後には今まで以上にパワーアップした柏倉の姿が見られるはずだ。
柏倉選手にとっての「Go!Amazing!」
「理想は去年の最終戦のような、まさかと思うような、ファンの皆さんや見ている人達が思いもよらないような試合をしたいです」。誰もが昨シーズン最終戦の試合展開には驚かされた。「東京Zに、プレーオフで優勝争いをすると期待している人は今のところ多くは無いと思うんです。それでもシーズン中にどんどん成長して、『今年の東京Zってこんなチームだったんだ』と思ってもらえたら嬉しいです。応援してくれる人が増えるようなチームになります」。
昨シーズン最終戦で「Go!Amazing!」を体現した試合を見せつけた。そんな昨シーズン最終戦のヒーローが、今まで以上にパワーアップして、今シーズンもチームに勢いをつける。「Go!Amazing!」の継続は柏倉の手にかかっている。
チケットの購入はこちら
2019-09-24
仁平拓海 開幕前インタビュー
東京Zの新戦力 仁平拓海選手。今まではPFなどの4番ポジションをこなしていたが、今年からポジションを3番のSFにコンバートし、新たなスタートを切った。
東京Zは「結束力の塊みたいなチーム」
昨季はバンビシャス奈良に所属、今季から東京Zに移籍しプロ4年目を迎えた。実際にチームに加わってみると「結束力の塊みたいなチーム」だという。「他のチームにも結束力はもちろんあるけど、それ以上にみんなでチームを盛り上げていこうという想いが強いと思います」と関わる全ての人が一つになって、チームを作り上げていることを実感している。また、「チームが選手のために動いてくれています。酸素カプセルなどのケア道具を用意してくれて、とてもいい環境でバスケに集中できているなと感じました」。
「不完全燃焼で終わってしまったことがめちゃくちゃ悔しかった」
「去年1年間、不完全燃焼で終わってしまったことがめちゃくちゃ悔しかった」。身長191㎝と高さのある仁平だが、他チームは4番のPFに外国籍選手などのビックマンを置いてくることが多いので高さで負けてしまう。そうなると、外国籍選手を休ませるための交代でしか出場することができないことが多かった。
そこで、まずプレータイムをもらうためにはどうすればよいか考え、ポジションをコンバートすることを検討していた。そんなときに東頭HCから、『今年はポジションコンバートを実施し、もっともフィジカルで、もっともタフで、もっともいいチームを目指す。東京Zだったら上手くなるよ』と誘いを受けた。
「その言葉を聞いて、東京Zで上手くなりたいと思ったのでここに決めました」。ポジションをコンバートすることを考えていたことと、東頭HCの熱い気持ちに共感し東京Zに来ることを決断した。
不安と期待
仁平は今年で25歳。新たなポジションに挑戦することに不安はたくさんあったという。「今までやってきていないことがたくさんあります。そのなかで一番大きいのが、スリーポイントとか外からシュートを打つこと。今までだとノーマークだとしても打たないで終わっていました。自分が打つよりも他の人を打たせて決めてもらったほうが、確率がいいのではないかと考えていたから。だけど、今だと自分が打つことになるので、自信をもってやらなくてはいけないです。外したらどうしようとか不安はあるし、動きとかも今までは4番ポジションの動きをしていたけど、それが違う動きになる」。ゴールに背を向けるプレーと、正面にみるプレーでは、動きが全く異なる。その点で、チームにアジャストできるのかと不安になることがあった。
その一方で、期待も多く持っていた。「外からシュートを打てるようになったらそれだけでプレーの幅が広がるので、自分のできることがもっと増えて、チームに貢献できる可能性が高くなります。また、自分がディフェンスを寄せた後にボールを回すプレーで、周りを活かすこともできる。そうなると、バスケットボールがさらに楽しくなりますね」。
新たな挑戦に不安はあるも、新たな可能性への期待はすごく大きかった。
自身のストロングポイント
自身のストロングポイントについては「リバウンドに飛び込むところです。自分で意識して強みだと思ってやっています。今まではインサイドにいることが多く、フィジカル対決でリバウンドの取り合いになっていたけど、これからは外から飛び込めるのでリバウンドも取りやすくなる。そういったところは積極的に取りにいって、少しでも自分たちが有利になるように頑張りたいです」。
また、オフコートでは、東頭HCから『ムードメーカー』と言われている仁平。その点について「チームのエネルギー源になれたらいいなと思っています。まだちょっと自分のことで精一杯になっていて、周りに気を使えないこともあるので、慣れながらチームに目を向けて盛り上げていきたいです」。
仁平選手にとっての「Go!Amazing!」
今年のスローガンは「Go! Amazing!」。
仁平は「1試合1試合、違った姿を見せれるように成長していきたい。そして最終に、『こいつ最初に比べたら成長したな』と思ってもらえるような選手になりたいです」。具体的な目標は、1試合にスリーポイントを3本は決めていきたいという。
「チームは徐々に出来上がってきていて、すごく結束力のあるベストチームになっているので、ぜひ会場に足を運んでいただいてその姿を見てもらいたいです。僕はコートの中でも、ベンチに座っていても、大きな声を出してエネルギーを持ってチームを盛り上げていくのでそういった姿にも注目してほしいです!」。
仁平が日々成長していく姿を、目標を達成していく姿を、一試合ずつ見守っていきたい。
チケットの購入はこちら
2019-09-23
Zgirls Yukina 開幕前インタビュー
自分の生い立ち、ダンスとの出会い。
母がクラシックバレエをずっとやっていて、私が3歳の時に子育ての為に辞めていたバレエを再開しようと見学に行きました。その時に、私が「やりたい!」と言ったそうで結局私が習わせてもらえる事になりました。笑
決して安くはないお月謝や交通費だったのに、いつも前向きに支えてくれた家族の存在が本当に有難かったと大人になり痛感しています。私が踊る事を、どんな時でも応援してくれる母や父の喜ぶ顔が見たくて踊り続けている部分も大きいです。
ずっとバレエだけを習っていたのですが、中学の時に地元でストリートの先生に出会いました。最初は真逆のジャンルが本当に難しくて…どっちも悲惨な事になっていたと思います。笑
この頃に「踊りを仕事にしたい!このままじゃダメだ!もっと上手くなりたい!!!」と強く思い始めました。バイトでレッスン代を稼いでレッスンを増やして、いつもダンスの事ばかり考えて過ごしていました。
その後、専門学校に入学し、実際に現場に出させていただいたりお仕事をいただいたり、プロとはどういうものかを学びながら濃い日々を過ごしました。怪我をして何回か歩けない時期もあったので、今こうして踊れている事が本当に有難く思います。
卒業後は福岡のテーマパークでダンサーとして就職させていただきました。ここでの思い出は、私の人生を変えてくれた宝物です。今は閉園してしまいましたが、この場所がなければFukaさんに出会うこともできず、東京Zにも出会えていなかったかと思うと運命だったのだと思います。
あなたにとって東京Zは?Zgirlsは?
新しい世界。笑顔がたくさんあり、自分も元気になれる場所。
チームにいる時、メンバーといる時、本当にいつも笑っているんです。もちろん厳しい時も苦しい時もありますがメンバーに会って顔を見ると沢山笑っている自分がいます。
私がお客さんとして会場に来た時、自分自身いろいろ悩んでいたのですが、試合を観てZgirlsの皆さんを観て頑張ろうと思えました。チアリーダーってすごい!私も人を元気にしたい!と思いました。
何をするにもはじめての経験で戸惑う事もたくさんあったのですが、昨シーズン助けられながら少しずつチアの世界に挑戦させていただく事が出来ました。
まだまだ本当に小さな1歩だと感じますが、2年目という事でもっと深いところまで研究できたらと思っております。アットホームな雰囲気、温かさ、アースフレンズ東京Zがもっているものが本当に素敵で、このチームの一員として皆様と応援できる事が本当に嬉しいです。
チームに入って今まで一番大変だったことは?
1番大変だった事は、初めてのプレシーズンゲームです。自分の中では最善を尽くして挑んだのですが、本番はキャパオーバーになってしまって…とても悔しかったです。ファンの皆様を不安にさせてしまったことも感じました。そんな中でも、あたたかく声をかけてくださった皆様、最後まで見守っていただいた皆様に本当に支えていただきました。
その後、Fukaさん、ベテランメンバーにたくさんご指導いただき、メンバーともいろんな想いを共有して助け合って少しずつ前に進む事ができたかなと思います。
いつも本当に周りに恵まれていて…1人では立ち直れなかったなと感じます。
そして、やはり乗り越えるには目の前にあることをやり続けるしかない気がします。いつも、やるしかない!精神です。方法はシンプルなのですが、これが難しいんですよね。今後も人生の中で大変なことがあると思いますが、考える事をやめないで真っ直ぐに向き合っていきたいです。
チームを続けたいと思った理由と目標
昨シーズンの4月の試合で、やっとスタートラインに立てた気がしたんです。自分の納得できるスタートラインに。
それまでも全力ではあったけどとにかく必死で、まだまだだと常に感じていました。まだやめたくない、挑戦してみたいと思いました。シーズン中のパフォーマンス動画を見て、いろんな感情が込み上げて泣けてきてしまって、自分の思いは本気なんだと思いました。そして最終戦で確信に変わりました。チャンスをいただけるのであれば、まだ進み続けたいと思いました。
Fukaさんをはじめ、メンバーのみんなにまだ教わりたい事も学びたい事もたくさんある!という思いも強かったです。今年もたくさん吸収させていただきます!
そして、私も発信できるよう頑張ります!あたたかくて芯のあるZgirlsになりたいです。
今シーズンへの想い、ファンへのメッセージ
今シーズンの目標は「挑戦」です。2年目ということで、昨シーズンたどり着けなかった場所へ行く事を意識しています。何もかもが2回目となり、自分自身が求めるものも去年とはまた違ったものになっていると思います。
皆様の心を動かす事のできるパフォーマンスを目指してメンバーと共に頑張っていきます!
そしてその先にチームへの貢献ができていたら、とても嬉しいです。昨シーズンみんなで一緒に分かち合えた気持ちを大切に、今シーズンも一歩先の感動の瞬間を皆さんと迎えられますように!
2019-20シーズン、更に大きくなるアースフレンズ東京Zをどうぞよろしくお願い致します!
2019-09-20
久岡幸太郎 開幕前インタビュー
今年3月に大学を卒業し、プロバスケットボール選手として東京Zで新たなステージへ歩みだした久岡幸太郎選手。昨年、大学バスケを終えた直後から特別指定選手としてプレーをし、今シーズンからはルーキーとして新たな気持ちでチームの勝利に貢献していく。
大学との環境の違い
「大学では学生主体でやっていたので、自分たちで考えてやっていました。東京Zでは、コーチも付きっきりでいますし、トレーナさんも細かいところまで指示をしてくれる。ケアでは、トレーナさんが身体のケアをしてくれる。また、良いジムを使わせてもらっていて、体育館も冷暖房がついている。環境が一気良くなりましたね。それは大学が悪かったとかではなく、ここでまた新たな環境になったという気持ちです」と、学生とプロとの違いを実感していた。
また、学生の時になかったのは、地域イベントへの参加。日頃お世話になっている人々への感謝を込めて参加しているという久岡。
「3部練の間にイベントに行ったときは、体力的に少し大変なときもありました。(笑)でも、僕たちがバスケをできるのは、地域の方々やパートナーの方々など、僕たちを支えてくださっている方々の支援があってこそです。そのことを大学から今までの期間ですごく感じているので、そういう人たちの力になれるのなら、イベントにどんどん参加していきたいと思っています。逆に、こっちが楽しませてもらったり、学ぶことがあったりと、僕のためにもなっていますね」。コートの中だけでなく、コート外でも学ぶことがたくさんあり、久岡のプロ選手としての成長に繋がっていた。
自分のストロングポイント
「ディフェンスは大学の頃から自分の強みだと思っていて、それはプロの世界でも通用しているかなと思っています。中高大と恵まれたチームにいたので、そこでとても鍛えられました」。
先日公開された東頭HCのインタビュームービーでは、「昨シーズン、ヘッドコーチに求められていたディフェンスをひたすら頑張り、プレータイムを勝ち取った。追加で求められたシュート力に関してもしっかり答え、適応能力が高い選手である。得意なアシストだったり、まだまだ出していないプレーもあるので、伸び代が大きい」と期待の声が上がっていた。
また、プレーだけではなく、「リーダーシップも少しずつとれてきたと思います。大学の時もずっとキャプテンとしてやってきたので、その経験が活きていますね」と、これまでの経験を生かした自信の強みを教えてくれた。
オフの過ごし方
オフの期間中、欠かさずトレーニングを行っていた久岡。「オフは少しだけ休んで、あとは、大学の時の同級生と集まって泊まり込みで練習したり、トレーニングしたりした。練習したり、一人でジムに行ったり。シーズン中と同じくらいやっていました」と、自分を甘やかすことなく過ごしていた。
何が久岡をそのように動かすのか聞くと、「シーズンが楽しみで待ちきれなく動いていた。また、今年が一番大事だと思っているので、そのためにも、という意味を込めて、ずっとやっていましたね。今年がルーキーシーズンだけど、何事も始まりは大事で、今後の自分のキャリアを決める大事な時です。初めてだから失敗して、経験して、という考えではなく、最初から結果を残していきたい」。
バスケットを楽しむ気持ちと、成長したいという強い気持ちが、久岡を動かしていた。
オフコートキャプテンとしての意識
久岡は今年オフコートキャプテンに就任。「自分がいることでチームのコミュニケーションがさらに円滑になり、よりチーム力が上がればいいなと思っています。例えば、誕生日の企画とかを頑張って考えています!ケーキをどのタイミングで誰が持ってきてどうするか・・など。楽しんでやれています」。
SNSの活用にも積極的な久岡。コート内外問わず、全体にいい影響を与えてくれることを、チームとしても期待している。
どのようなGo!Amazing!を届けたいか
今年の東京Zのスローガンは「Go!Amazing!」。
久岡は、まず”挑戦“をあげた。「今年は「挑戦」が大きなテーマです。チームとして目指すところはすごく高いところにあると思う。全てが上手くいっているわけではないし、なかなか簡単には達せない、難しい挑戦をしている。それでも、観にきてくれたファンの方々やスポンサーの方々に、どんどん成長していくところを観てもらって、楽しんでほしいと思います。僕たちが目指すものに近づいて、いい勝ちができたときに、驚かせるような試合ができたらいいなと思います」。
そして、久岡はチームに対して大きな愛を持っている。
「ファンの方々、パートナーの方々、地域の方々、チームに関わる業者の方々、ホームゲームを作ってくださる演出の方々、フロントスタッフ、コートスタッフ、Zgirls、Z Friendsの方々、すべての人がチームのために一つになっているのがすごく好きでいいなと思ってます。僕たちは、選手としてその想いをコートの上で表現して恩返していくので、一緒に頑張って盛り上げていきたいです」と、熱い想いを語ってくれた。
東京Zに関わる全ての人と一緒に強くなっていく久岡の挑戦はこれから始まっていく。
チケットの購入はこちら
2019-09-19