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カイル・リチャードソン「家族のために」

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年明けのNBDLオールスターではアースフレンズ東京Zの代表として出場し、その存在感を魅せたカイル。
日本では2年目となる彼のバスケ人生を辿ってみた。


バスケは物心ついた時から

アメリカのカリフォルニア州南部に位置するラ・パルマという街で生まれたカイル。アメリカの住みたい街ランキングでも上位に入るほどのいい街である。
父は建設業者、母は電話会社に勤務、6つ上の兄と四人で暮らし、至って普通の家庭に育った。

幼い頃から父と公園に行ってバスケをするのが日課だったのもあり、バスケが自然と好きになった。
小学校に入学すると、年齢別に分けられたバスケリーグがあり、そこに毎年参加していた。当時からスタメンにも抜擢され、活躍していたカイル。アメフトやサッカーなど、人気スポーツは他にもあったが、カイルはバスケ一筋。物心ついた頃から将来の夢はプロバスケットボール選手。そう決めていた。


中高時代

中学校と高校はメイフェアという地元の学校へ通った。
高校2年間はレギュラーメンバーとして抜擢。南カリフォルニア地区リーグを2連覇し、CIFチャンピオンシップ(California Interscholastic Federationの略で、高校生のスポーツを支援するカリフォルニアの組織が開催する大会)に進出。2年とも準々決勝まで勝ち上がった。そのオールCIFディヴィジョンII-Aではファーストチームに選出された。

地元紙「ロングビーチ・プレス・テレグラム」が発表するオール・ドリームチームにもファーストチームのメンバーとして選出され、チームのMVPを獲得。現在NBAで活躍している選手も高校時代に出場を果たしているマクドナルド・オール・アメリカン(全米高校選抜)にも選ばれるなど輝かしい成績をおさめる。

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さらなるステップアップを求めて

大学はカリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ進学することに。何故ここに決めたのかと聞いたら「プログラムも良かったし、いい選手がいたから。でも一番は近かったから。家族にも試合に応援に来てもらえるしね。家族はいつも支えてくれていたから。」とのこと。車で15分以内、と確かに程近い。

1年生の頃からプレータイムを獲得していたカイル。シーズン通して18試合、平均15分出場していた。また、2年生のときも20試合出場。しかし、スタメンに入ることができたのはこの内、2試合のみ。より力をつけようと思ったカイルは3年生の時に自らレッド・シャツ制度(1年間選手としてプレーする時間を後回しにする制度)を起用。その間、トレーニングを続け、基礎からしっかり体づくりを行っていた。
しかし、4年生にプレーヤーとして戻ってから31試合の出場機会を獲得はしたものの、スタメンに入ることができたのはレッド・シャツから戻って最初の5試合のみだった。

NBAに行く、海外に行く、といういつからかできた夢を果たすべく、「このままじゃダメだ」と思ったカイルは、学業の単位を取り終えることを優先し、レッド・シャツで残っていた一年は環境を変えようと決意した。

すると、オレゴン州にあるポートランド州立大学(以下、PSU)バスケ部のヘッドコーチがカイルに声をかけてくれた。PSUは全米大学スポーツ協会『NCAA』のディヴィジョン1に属するチームで、カリフォルニア大で学んでいたのと同じコミュニケーション学の修士課程もあったということもあり、カイルはすぐさまPSUに転校した。

決断は正しかった。プレータイムは増え、1試合の平均スコアもリバウンド数も伸びたという。
チームとしても、カイルが加わったことにより前シーズンよりもいい成績をおさめるようになり、チームの大事な柱となっていた。大学で最後の試合となったNCAAビッグ・スカイ・カンファレンスのセミファイナルについて、「凄く思い出に残っている。負けたときはかなり悔しかったね。」と語る。

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日本での挑戦

代理人が日本人だったことや日本食が美味しいということから、大学卒業後は当時bjリーグ参戦2年目の青森ワッツに行くことに。

青森の印象を聞くと「とにかく寒かった(笑)。息子のマイルズが生まれたばかりというのもあったけれど、ずっと家の中にいたよ。今もやるけど、ゲームばっかりやってたね。雪は好きだけど、ちょっと多すぎたかな。」と笑った。

青森ワッツでは豪快なダンクや粘り強いポストプレーなどを見せながらも、学校訪問やファンサービスでは笑顔で対応していたカイルはファンからも人気だった。
2014-15シーズンにレギュラーシーズンイースタン6位でプレーオフに出場。ファーストラウンドで3位の仙台89ERSに二連勝して破り、チームとして初のカンファレンスセミファイナルに進出。しかし、2位の岩手ビッグブルズの壁は厚く、セミファイナルは初戦はオーバータイムに持ち込む激戦となるも敗戦。二戦目は大きく差が開いてしまい、二連敗してシーズンを終えた。

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そして東京へ

青森でのシーズン終了とともにアメリカに帰国したカイルだったが、新たに迎えるシーズンのプレー先を探していたところ、アースフレンズ東京Zから声がかかった。斎藤ACが夏にポートランド大へ訪れた縁から、コーチからの紹介だったのだ。
俳優の兄が学生時代に東京に一時期住んでいたというのもあり、東京にも興味があったカイルはアースフレンズ東京Zでプレーすることを決めた。東京の印象は「ダイバーシティ(多様性)」。青森ともまた違った面白さがあるという。

チームについては、「小野HCは選手一人ひとりをちゃんと見てくれるし、ダメなときは止めて注意してくれる。練習メニューもきちんと組み立ててくれるし、どうしたらスキルアップできるのか、どうしたらチームとして良くなるのかというのをしっかり指導してくれる。その指導スタイルはすごく好きだよ。チームは若いし、まだまだ改善の余地はたくさんあるけれど、みんな一生懸命ですごくいいチーム。」と。

ホームゲームの試合では奥さんと息子がいつも見守っており、シーズン中にはアメリカから母や兄も来日して、家族の絆も垣間見えた。先日の試合ではカイルの横断幕も登場し、ファンにも愛されているカイル。
夢は今も「NBAに行くこと」。一歩一歩、着実に夢に向かってゆく。

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