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石井峻平「積み重ねた努力」

特別指定選手として、東京Zに合流した石井峻平。プロになったこと。それは、これまでの石井が積み重ねてきた、地道でひたむきな努力が実を結んだ結果だった。

悔しい気持ち

父と母、兄もバスケットをやっていたこともあり、小学校2年次に石井も自然とバスケットを始めた。小さい頃は野球もやっていたが、中学に上がるタイミングで、部活を選ぶときに野球かバスケでバスケを一筋に。どっちも嫌いではなかった。それでも「バスケの方が熱くなれた。やりたいって思えた」。迷いはなく、自然とバスケットに足が向いた。
ミニバスは地区の20~30チームある中で、ベスト4くらいの成績。そこまで強くはなかった。当時、ミニバスの練習には卒業したOBの人が来てくれていた。「中学生や、高校生相手に毎回試合をさせられて、ボコボコにされてましたね(笑)」。相手も手加減はしてくれていたそうだが、毎回負け。幼いながらに、自身の中の、悔しいという気持ちを感じていた。「そんなに気持ちを前面にだすタイプではないけど、負けず嫌いだと思う」。当時から、内なる闘志をひそかに燃やしていた。

人間性を学ぶ

中学は学区内の中学に進学。しかし中1のときにすぐに腰のケガをして、1年間バスケットができなかった。ケガの期間は毎日部活に行っていたものの、マネージャーのように雑務を繰り返す日々だった。バスケットだけではなく、運動すること自体が禁止。体育の授業すら、何もできなかった。激しく動くこともできず、直すためには、運動も完全に制限しなければならなかった。「正直けっこうきつかった」。しかし地道なリハビリにも耐え、腐ることなく、バスケットを再開できるまでに回復した。
実際にプレーしていたのは中2の冬くらいから中3の引退までだったため、中学であまりプレーはしていない。そんな中で、「中学時代は人間的に大事なことを部活の顧問の先生から教わった」と石井は言う。人として部活だけやっていればいいのではなく、普段の生活からしっかりすること。「人として大切なことを学んだし、それは今でも意識していること。大事なことを学んだと思っています」。
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誰よりも練習

高校は推薦の話もあり、いくつかの高校から「うちに来ないか」と、誘われていた。しかし、大学やそれ以降のことを考えていた石井は「進学校に行った方がいいかなと思って。普通に受験しました」。推薦の話は全部蹴ったそうだ。
しかし実際に入学した高校はバスケ部が強くなく、「自分が入った時は県大会2回戦とかで負けるくらいの高校でした」。最初は後悔したこともあった。「もっと強いところに行っておけばよかった」。しかしその時にそんなことを考えてもどうしようもない。前だけ向いてやれることをやっていこう。他の環境に目を向けるのではなく、今ある環境で全力で頑張ることを心に決めた。

他の強豪校と比べて、練習の環境や練習の質が低いと思っていたため、「めちゃめちゃ量はこなしました。量でカバーするしかないんじゃないかなって」。チームの練習は、もちろんきつかった。平日はハーフコートしか使えなかったが、夏休みなどの長期休み、オールコートがつかえるようになると、練習前、練習後、もちろん練習中も「とにかく走らされた」。厳しい練習だったが、それでもチームとしての時間は限られていた。そんな中で、石井は朝練や、練習前後に、誰よりも練習に励んでいた。「朝は6時半くらいからシュートを打って、その後に朝練をこなして、放課後も体育館が閉まる時間まで絶対に残っていました」。

1年次から試合にも使ってもらっていた石井。高1のときに、国体の候補選手の練習会に呼ばれていた。結果的にメンバーには入れなかったが、1年生で呼ばれている選手はほとんどいなかった。「そんなに強くもない高校だったし、中学も県選抜に入っているわけではない。国体は憧れ。そんな世界だった」。そこに石井自身が呼ばれ、「自分でもやれるのかな」。そこから気持ちが変わった。もっと上のレベルを見て練習できるようになった。そこでは石井自身、シュートが評価されたと感じている。「シュートは本当にたくさん打っていたので。その時からスリーポイントなどのシュートは自分の中では自信を持てていました」。日々の地道な練習の成果が表れた瞬間だった。
努力も実り、石井が3年次には、県大会でベスト4を狙えるくらいの力がついていた。「結果はベスト8でしたけど、このチーム、このメンバーで本当に良かったと思いました」。

主体性を持ち

大学へは推薦で駒澤大学へ入学。
石井は高校のときの新潟県の国体の選手に選ばれ、スタメンで使ってもらっていた。チームはミニ国体で負けてしまい、本国体には出場できなかったが、国体のチームで1度、東京遠征に行ったことがあった。「その時に駒大の監督さんに見てもらって声かけてもらった」ことがきっかけで駒大への入学を考えることになった。
当時は迷っていた石井だったが、駒大の入学の決め手となったのは、国体で一緒にプレーしていた、当時のキャプテン。「『一緒に駒大に行かないか』って誘ってくれたんです。国体の先生も、行ってみても良いんじゃないかって背中を押してくれたので。あとは関東でやってみたいなっていう気持ちもあって、行こうと決めました。急に決まったことだったので当時は自分でもビックリしました(笑)」。

石井が入学前は、駒大は2部だったものの、石井が入学するときに3部に落ちてしまった。一時期、駒大はスポーツ推薦が取っていない時期があり、石井が入った年に、ちょうどスポーツ推薦が再開された年だった。石井が1年次のときの先輩は、全員が一般入学生という状況だったため、1年次から少しずつ試合に出場できていたという。1年のときも2部との入れ替え戦に行ったが、その試合は全然歯がたたなかったそうだ。2部とのレベルの差を感じた。「何も通用しなくて、本当にその時は、ヤバいなって思った」。
その時にも石井は練習量をこなし、うまい人のプレーを見て真似もしていた。その結果、2年次になってからは、やりたいようなプレーができるようになった。そして2年次のリーグ戦。個人としてもチームとしても、「絶対に2部に上がろう」石井はそう思った。当時の4年生がチームを引っ張ってくれており、石井個人的にもお世話になった人たちだったそうだ。「絶対に4年生を勝たせてあげたい」。その気持ちが勝利につながった。「2部と3部の入れ替戦でレベルはそんなに高くはないけれど、うれしかった」。今までで一番印象に残っている試合だと言う。

駒大は学生主体のチーム。監督は仕事の影響で、週に1回来れるか来れないかという中で練習をしていた。石井の学年が上がるにつれて、部員は増えていき、50人くらいにまで膨れ上がった。「もちろん監督さんとかスタッフさんが中心となってやりますけど、毎日いるわけじゃない。学生でやらなきゃいけない部分もあって、全部が全部じゃないけど、そういうところがめちゃめちゃ大変でした」。

そんな中で挫折もあった。記憶に新しい、昨年秋のリーグ戦での2周目の神奈川大学との試合。「チームがノリに乗っていて、このまま神奈川大に勝って入れば上位もいけるんじゃないかって、盛り上がっていたんです」。しかし、そんな時の神奈川大戦で、石井がまさかの不調。エースとしてチームの期待も背負っていたにも関わらず、4得点に終わった。結果、チームは20点差以上の差を付けられて惨敗。「悪い意味で記憶に残っています」。4年次になって、チームになくてはならない存在となっていた石井。「自分が点を取らなきゃ負けるくらいでやっていました」と、エースとしての自覚を持っていただけに、打開力のなさを痛感した。この敗戦は石井にとっていい意味でも悪い意味でも思い出深いものとなった。
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100%やりたい

東京Z加入へは、大学3年次の冬にトライアウトを受けたことがきっかけだ。
その時に石井は進路に関して悩んでいた。「バスケを続けようかも迷っていたし、続けるとしたら実業団か、あとはプロに対する憧れもありました」。その悩んでいた時にちょうどトライアウトがやっていたこともあり、興味本位で「行ってみようかなって。それでHCの卓さんに声を掛けてもらいました」。そこでプロになることが決まったわけではなかったが、そのトライアウトで声を掛けてもらったことをきっかけに、少しずつプロを考えるようになった。
その後、実業団からも誘われたりもしていたが、石井は実業団でやりたいとは思うことはなかった。「やるならやるで、100パーセントでバスケをやろうと決めました」。

東京Zの練習に参加してみて、「毎日学ぶことばっかりで、今すごく勉強しています」と語る石井。プロになったことで意識も少しずつ変化している。プロになればバスケが仕事。普段の生活からいろいろと変わった。「寝る時間、食事も、前まで意識しなかったことも意識するようになった」。
そんな石井の強みはシュート。「絶対に自分の強みだと思う」と自信は十分だ。早いモーションから流れるようにきれいなシュートが持ち味。「それをもっと強みにしていけるように」と、まだまだ向上心をのぞかせる。加えて、求められることをしっかりやれて、試合の中で状況をよく見てプレーできる選手になりたいとも語った。「これからもっともっといろんなことを学んで吸収して、ハードにプレーしていきたいです。そしていつかは誰かに自分みたいな選手になりたいと思ってもらえるよう、日々頑張っていきたいと思います!」石井の中でのなりたい選手象は明確に決まっている。

「チームの勝ちに貢献できるようにがむしゃらに頑張ります」。これからもまだまだ成長を続ける石井。その努力と根性で、東京Zに新たな風を吹かせる。

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