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伊良部勝志「志ある者は事竟に成る」

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親元を離れ、祖母のもとで幼少期を過ごした伊良部。温和な性格の伊良部がプロバスケの世界へ足を踏み入れることができたのは、常にバスケに対しての”志”を持ち続けていたからだった。


親元を離れ、宮古島へ

親が仕事の都合で家を空けることが多かったため、伊良部は物心ついたころから、親の住む沖縄本島から約300km離れた、宮古島の祖母のもとに預けられ、そこで幼少期を過ごした。伊良部が住んでいた地区は、宮古島の最北部に位置する、人口数百人ほどの小さな町だった。幼稚園と小学校が隣り合わせに建っており、幼稚園からは小学校の体育館の様子を見ることができた。伊良部は幼稚園の時からバスケをしている様子を見て、この時から「小学生になったらバスケをしよう」と思っていたという。

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2つの小学校で全国大会出場

小学校は全校生徒合わせて60人ほどで、クラブ活動はバスケ(ミニバス)部しかなく、全校生徒の半分近くが所属していた。人数が少なく、1年生から6年生までが一緒に練習をしていたが、コーチのもとでみんな真剣に活動していた。伊良部が3年生の時、そんな小さなミニバスチームが沖縄県大会で優勝し、全国大会出場を果たした。「たまたまその時の6年生にすごく能力のある人が集まっていて、まさに”黄金世代”って感じだったんです。翌年はその先輩たちが卒業しちゃって、宮古島の大会でも勝てなかったです(笑)」小さな町のミニバスチームの快挙は、宮古島内だけでなく沖縄県内でも話題となった。

小学校5年生の夏休み、親の住む本島へ戻っていた伊良部は、バスケがしたくて近くの小学校のチームの練習に参加させてもらっていた。そのチームは背の高い能力のある選手が揃っていて、練習もしっかりしていた。伊良部はそのチームでバスケがしたいという思いと、親と一緒に暮らしたいという気持ちで、本島への転校を家族にお願いした。
すると翌年、今度は転校先のミニバスチームが全国大会に出場。伊良部は2つの小学校で全国大会出場を果たしたのだった。

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万能型プレーヤーとしてチームを牽引

伊良部が卒業した小学校は、中学生になるとそれぞれの地域によって別々の中学に進学し、全国大会に主力として出場したメンバーは、伊良部とは別の中学校に進学していった。伊良部は中学1年時はほとんど試合に出ることはなく、2年生から控えとして試合に出るようになった。次第にチームの主力選手となっていった伊良部だったが、得点やリバウンドで圧倒的な数字をたたき出す訳ではなく、派手なプレーを披露するわけではなかった。だが、ドリブル・パス・シュートと何でもコンスタントにこなせる万能型フォワードとしてチームを牽引し、3年時には沖縄県大会で準優勝に貢献。沖縄県のJr.オールスターメンバーにも選ばれた。

高校は那覇市内の小禄高校に進学。当時は県内でベスト8くらいの実力だったが、「全国で自分たち以上に練習しているチームはないと思ってました」と伊良部自身が語るほど練習漬けの日々が続き、徐々に力をつけていった。同期の松島良豪選手(現兵庫ストークス)とともにチームを牽引し、2年生のウインターカップ予選に勝利し、初の全国大会出場を決める。ウインターカップでは、2回戦で現在のチームメイトである佐藤正成のいた山形南高校を破りベスト16に進出。3年時にはキャプテンとなり、インターハイ、ウインターカップに出場した。

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力を発揮できなかった大学時代

高校を出てからもバスケを続けたい思いを持っていた伊良部だったが、親からは経済的な理由などから就職を勧められていた。そんな伊良部に、高校での活躍が評価され、大阪の近畿大学から特待生として声がかかった。伊良部は親を説得し、近畿大学へと進学することを決めた。

近畿大学では、良い仲間との出会いや頼もしい後輩の加入により、大学3年時にはインカレベスト4入りを果たす。しかし、伊良部は主戦力として活躍できる実力を備えていながら、監督が求めるチームスタイルに合わないと判断され、十分なプレータイムをもらえないまま4年間を過ごすこととなった。

このままでは終われない、終わりたくないと考えるようになった伊良部は、大学卒業後もプロとしてバスケをやりたいという思いを持ち始める。

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トライアウトから東京Zの第1号選手に

大学バスケ引退後の1月、NBLの合同トライアウトに参加。1つ1つのプレーに真剣に臨み積極的にアピールする伊良部の姿が、アースフレンズ東京Zスタッフの目に留まった。
チームにはまだ1人も選手がいない状態だったが、チームが目指す目標や今後のビジョンを聞いて、このチームでプロバスケ選手としてスタートすることを決めた。そして2014年の春、佐藤正成・高山師門とともに、アースフレンズ東京Zの第1号選手となった。

大学で十分なプレータイムが得られていなかったこともあり、練習試合などではまだコーチの要求するバスケをコートで再現することに苦労している様子も見られるが、「試合に出られることがとにかく嬉しいです。毎日勉強させられることばかりで必死ですが、バスケってやっぱり楽しいなって実感する日々です」と、本人はいたって前向き。

そんな伊良部に今期の目標を聞くと、真剣なまなざしで答えが返って来た。
「いつもフロントスタッフやボランティアスタッフのみなさんが頑張ってくれて、本当に感謝しています。他にも、ファンの方や多くの人が支えてくれている。そんな仲間の頑張りに選手として応えられるのは、試合で勝つこと。みんなに優勝の喜びを味わってもらえるように頑張ります。」

伊良部は自分の名前の漢字でもある「志」という字を気に入っていて、その字の表す意味のような人でありたいという。
「志ある者は事竟に成る」とは、”しっかりとした志をもっている人は、どのような事でも必ずいつか成功する”という意味のことわざだ。
くったくのない笑顔に隠れた信念が、伊良部をより高みへと導いていく。

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